蚕影山縁起碑

蚕影山縁起碑

龍源寺 蚕影山縁起碑1
龍源寺 蚕影山縁起碑2
上州は古來毛野國と稱し多くの遺跡群に見られる樣に髙い文化水準を保って居た
特に多胡地域は大和時代に羊太夫が多胡郡を領有し歸化人が多く養蚕を始めとする髙度な産業が盛んで有った
龍源寺は正式には慈雲山松田院龍源寺と稱す
中世に華應存永大和尚を初代とし當初は大字多胡字元屋敷に所在したが五代智眼慶察大和尚代に山津波に依り埋没
其後仁叟寺九世日洲壽朔大和尚に縁り天保三年に曹洞宗寺院として開山
釋迦牟尼佛を本尊とし大字多胡字蟹澤に移転した
開山以前から特に養蚕に御利益の有る蚕影山大權現は中世から現在に至る迄の永きに亘り地域の多大なる尊崇を受けて居た
爾来平成十五年四月迄蚕影山は龍源寺山中腹の別當にて祀られる
縁日例祭は毎年三月二十三日に莊嚴且つ盛會裡に修行されて居た
現在は蚕影山御本尊及び宮殿は龍源寺本堂に移動し例祭も毎年四月二十九日へと變更と成り多くの善男善女で賑わう
明治時代には官營富岡製糸場の開業と共に蚕業は飛躍的に発展
桑葉の最髙級品種多胡早生は當地にて誕生し日本全國に傳播した
明治大正昭和時代は蚕影山例祭日には參道に提燈が点り露天商が立ち並び參拜者が繭玉を手に列を成し蚕影山の最盛期を迎えた
御本尊蚕影山大權現阿你嚕神王
尊像は金色姫とも傳えられる
平成十五年に外園豊基早稲田大學敎授に依り其の歴史的価値の重要性が指摘される
平成十八年には佛敎造形研究所主宰本間紀男元東京藝術大學大學院敎授らの調査に依り中世像で相違無しとの報告を受く
蚕影山は當寺のみ爲らず多胡地域の歴史と信仰を物語り現在も龍源寺本堂にて祀られて居る

平成二十二年四月二十九日建立撰文

慈雲山松田院龍源寺三十世住職 大永龍道(印)
揮毫 渡辺晃苑(印)

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